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707 諏訪神社(すわじんじゃ)

鎮座地:福津市西福間2丁目-1-15 
     (旧福間町字諏訪)
行政区:本町区
祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)
大名持命(おおなもちのみこと「大国主命」)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
祭・行事 元旦祭 1月1日
秋祭り(放生会)  9月26,27日
除夜祭 12月31日
由緒 諏訪宮の祭神建御名方命は武勇を尚ぶ兵事を司り、大国主命は、産業開発、少名毘古那命は医療の道に励まれ営々として国造りに力を注がれた3神を勧請した社である。(福間町史明治編より)
境内社 須賀神社 祭神:素盞嗚神(すさのおのみこと)
産神社 祭神:伊弉諾命(いざなみのみこと)
菅原神社 祭神:菅原神
秋葉神社 祭神:加具士神(かぐつちのかみ)
愛宕神社、大山津見神社、亀山社、久留尊社、弁財天社、恵比須社、稲荷神社
文献

【筑陽記】に「諏訪大明神社・福間ニアリ」と記載。
【筑前国続風土記附録】に「神殿五尺間三間社、拝殿二間三間、祭礼九月廿九日、石鳥居一基、奉祀澤田出雲。(略)社内に貴船社、多賀社、祇園社あり。」と記されている。」と記載。

【筑前國續風土記拾遺】に「是枝郷松原,福間町,同浦三ヶ所の産神也。
所祭建御名方命,大己貴命,少彦名命也。村の北松林の中諏訪山に鎮座有。
勧請の年月未詳。(略)側に神木の松有。又社の北貳町餘に諏訪池有。(略)一説に宗像百八神の内に四道福松社あり。当地の事なりといふ。」と記載。
【宗像郡明細帳】]に「氏神諏訪宮(略)」と記載。
【福岡県地理全誌】に「諏訪神社(略)」と記載。


【通俗福間史】に「(略)御鎮座の年月は数度の兵火にて古文書の見るべきものなく詳らかならざるも続風土記其の古書にて見るも遠き昔にありし事は疑ふべくもなし。兵火に罹らざりし以前は壮大なる社殿の模様なりしも其の後は微々たる石の祠なりし由なるを霊元天皇の貞享二年(1685)に今の社殿に改造されしといひ、桃園天皇の宝延三年(寛延3年(1750)か、宝暦3年(1753)の間違い)には渡り拝殿等を建設された。やがて明治四十三年に御神殿を新築し彫刻のみは貞享年間の物に彩色を施して用ひ、拝殿は大修理を加へたり。是即ち現在の御社なり。明治五年十一月三日村社に列せらる。」と記載。

コメント 諏訪神社は全国に約5,700社あります。建御名方神(たけみなかたのかみ)をお祀りする神社です。建御名方神は、『古事記』によると天孫降臨に際し、お使いの神であった、建御雷神(たけみかづちのかみ)と力競べをした結果敗れ、諏訪(洲羽)湖に追いつめられましたたが鯰のおかげで逃げ延びることが出来ました。そのため鯰は建御名方神の眷属とされ,この神を勧請した福間の人は鯰を食べない、と云われています。
絵馬 1.絵馬「漁労図」寛政6年(1794)、奉納者庄屋今林清七外22名
2.絵馬「源頼鵺退治図」天保10年(1839)、奉納者当浦中
3.絵馬「中国人物図」天保12年(1841)、奉納者井原孫三郎母
4.絵馬「秀吉観相図」弘化(年間)、斎藤秋圃画
5.県指定有形民俗文化財絵馬「福間浦鰯漁図」安政4年(1857)、斎藤梅圃画。奉納者庄屋今林徳十郎外19名
6.絵馬「八幡縁起図」安政4年(1857)、斎藤梅穂画、奉納者家門栄昌祈者
7.絵馬「武者図」慶応2年(1866)、春帰画。奉納者井原真右衛門
8.絵馬「曳馬図」慶応4年(1868)、春帰画。奉納者井原興心
9.絵馬「吉良邸討入図」松隈笠心斎画
文化財等

金刀比羅神社から諏訪神社へ寄託された林樵斎画の衝立「波旭日図」安政3年(1857)の一基がある。


神殿の左にある境内社 神殿の右にある境内社 福間浦鰯漁図絵馬
右から、[大山津見社(山ノ神)・産社
(安産神)・亀山社(武道神], 久留尊社、
弁財天社、恵比須社、稲荷社、菅原社
右から、[秋葉社(防火の神)・愛宕社(開運の神・延命の神)]、祇園社(疫病の神)