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701 亀山神社(かめやまじんじゃ)

鎮座地:福津市駅東2丁目1-3
     (旧福間町字四角)
行政区:四角区
祭神 伊弉那岐神(いざなぎのみこと)
國常立神(くにのとこたちのかみ)
祭り・行事 毎月13日 並祭
3月10日 春大祭
4月上旬 桜ごもり
田植後 草苗登祭(さなぼり)
7月3日 通切り
7月10日 夏祭
10月14日 秋大祭(大宮座)
12月13日 大祭
由緒

亀山神社御縁起に関する案内書】の中に、
[古老傳記]に「亀山神社は、往時より妙見様と呼び年中の祭事盛んにして、遠方近隣の信者多く、殊に秋の大祭事には参詣する人陸続として門前市をなす盛況振りだったと言ふ。又斯処を亀山城と称し、長慶天皇南朝なるを以ち御陵なるを隠密にする必要から城頭に妙見様を祀りしならんと言伝ふ。」と記載。
[河津古文書に依る亀山神社祥明]に宗像郡福間町の東なる字四角に御鎮座ありし。亀山神社は往古より亀山御陵と称す。天和年間(1681-1684)三十九代河津武部太夫光祐が南朝長慶天皇を御迎へ申し上げ鞍手郡枇杷郷を経て宗像郡河西郷に御遷居。応永七年(1400)三月崩御、御斯の上に奉葬ありと伝ふ。郷士の民衆は古来より亀山城と呼び妙見様を奉斉。代々深く畏故祭儀厳守世の誇りとせり。神社明細帳は神仏分離行政に依り明治初年調へられるのにして、以前は妙見様として貴重な存在として河津家の産神、宗社大森神社にも奉斉あり。」と記載。

境内社 荒五郎社 祭神:素盞嗚命(すさのおのみこと)  
蛭子社 祭神:事代主神(ことしろぬしのかみ) 
熊野神社 祭神:伊弉那岐神(いざなぎのかみ) 字太郎丸より移転
文献 【筑前国続風土記附録】に「下西郷村(略)妙見社 キリヨセ」と記載。
【宗像郡明細帳】に「切寄 妙見社 三尺四方 瓦葺」と記載。

【通俗福間史】 福間町史明治編とほとんど同じに付き省略。
【[福間町史明治編】に「(略)昔は村社であったが後無格社となった。(略)祭神は長慶天皇(1368年~85年在位十五年)の御遺骸を勅言によって、此の山上に奉葬したものであると云う。昔は御陵であると云っていた。此処に在って「御代を見らん」との御勅言から後年人々はこれを言い伝えて「御代見」と云い、妙見社と言う様になったということである。社頭の大老松を「御標の松」と言い伝えていたが昭和二三年(1948年)九月小雨の降る日大音響とともに倒れてしまった。(略)
又神殿の真下には大石の古塚があると云う。未だはっきりした事はわかっていないが、多分竪穴古墳ではあるまいか?と言われている。伝説に「往昔此ノ神塚、折々鳴動セシヲ以テ生山トテ云ヒ、此ノ鳴動ヲ静メン為メ、周囲ヲ掘リ切リ、溝ヲ造リシガ此ノ時非常ノ鳴動起リテ終日終夜止マズ、人民大イニ驚キ色ヲ失ヒシガ、是ヲ最後トシテ其ソノ鳴動全ク止ミ以後今日マデカカル事無シト云フ」と。
この神社は四角区、両谷区、船橋、井尻、大和町の一部の人々が氏子である。又記録には「大正十一年(1822年)春。城野伝吾氏は大島村にて偶然、筑豊沿海史を繙き感ずるところあり、氏の提唱により現在の石段を築く。時に大正十一年十月なり。」と記している。」と記載。
コメント 亀山神社の裏には河津家代々の墓所あり。
作りが、社の中に社がある。
絵馬

「亀山神社の大松昭和二十三年九月突如空に舞ふ」 富栄作              「亀山神社大松供養之図」 富栄作

文化財等

社の中に社 富栄作 大松供養之図  河津家代々の墓