| 304 | 天降天神社 |
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鎮座地 福津市(大字)須多田 (字)下の口 |
| 天降天神社古墳の横にある。 慶長初期(1600)までは、大石、須多田は奴山村では、天降天神・風降ともに天守天神社とあり、明治以降、異なった社名になっている。(地理全誌) 筑紫の国造磐井の大名麻呂、須多田麻呂、津丸磐麻呂と三兄弟で、三部落での婚姻はなかったといわれている。(椎が観音縁起書) 明治5年11月3日、村社。 |
| 祭神 | 少彦名命(すくなひこなのみこと) |
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| 祭礼 |
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| 由緒 |
筑前國續風土記拾遺によれば、この神社のご神体は現在の拝殿の裏にある小高い宮山にあり、産神である。少彦名命を祀るとある。宮山は廻りに堀二重ほりを廻し、四方に門があった跡があり、まるで城跡のようだ。須多田の地名はこの古墳の被葬者のことを指すと思われる。被葬者はいずれも宗像族(簾長者)で大和政権と深いかかわりをもつ人物の墓である。 (天降天神社の由来) 平成13年6月24日、宗像郡津屋崎町大字須多田に鎮座していた保食神社、境内末社弥勒菩薩、御塚様三社を当境内に石祠を新築し奉斎した。 (保食神社、弥勒菩薩、御塚様遷座について:別掲) |
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| 境内社 | 須賀神社 | 素盞嗚尊 | ||||
| 文献 | 【筑前國續風土記付録】須多田村 天守天神社 産神也。祭る所少彦名命なり。鎮座の年歴伝ふる事なし。社内に祇園社あり。本編に見へし簾長者の居たりし所なり。 【筑前國續風土記拾遺】天守天神社 宮山に在。産神也。彦名命を祀れり。在自村巫女奉祀す。本編に見栄たる簾長者か宅址は、当社の後ろにあり。堀の址、今はかたはかり残れり。 |
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| 絵馬 | ||||||
| 文化財等 | ||||||
| コメント | ||||||
| その他 | 【筑前國續風土記】須多田 此地に宮山迚、廻りに堀二重ほりまはし、四方に門有し址あり。ひきゝ山也。城址の如し。昔此辺長者と云富人ありしと云伝ふ。其故に村の名をも簾田と云にや。 須多田天降天神社古墳 |
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| 天降天神社由来 | 天降天神社鳥居 | 天降天神社手水場 |
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| 合祀記念碑 | 須多田天降天神社古墳説明板 | 須多田天降天神社古墳 |
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| 後方円墳部分 | 前方墳部分 | 須多田天降天神社古墳模型 |
| 保食神社、弥勒菩薩、御塚様遷座について (平成17年7.19スワ神社 大賀) 須多田区の山側、白玉稲荷神社旧参道入口に朱の鳥居、石の鳥居があり、その右の小森の中にの頂に石祠が二社あった。 この場所は、宗像郡津屋崎町大字須多田字辰ヶ鼻159番地なる社有地であって、向かって右側には、無格社、本社として保食神社、祭神宇計毛知神が奉斎されている。 地元の人達は五穀様と崇めている。その左は境内末社で人々はミロク様と呼んでいる恐らく弥勒菩薩の霊をあんちしているのではなかろうかと思われる。 また、此処から百メートル程の左の森の竹林の中に石祠一社がありて、地元ではここを御塚様とよんでいる。 辰ヶ鼻の参百四拾壱番地に位置するが、これらの石祠は須多田の集落の先祖が悠久の時の流れの随に民の生活の守り神として信仰し敬称してきたものであるが、今度、時勢の状に鑑みて氏子中協議の結果、この処の産土神なる須多田区字下ノ口に鎮座される天降天神社の境内地、拝殿の右側に石祠を新築し奉斎することと相成る。 平成十三年辛巳六月二十四日吉辰、遷座のため、区長以下関係者等は早旦より辰ヶ鼻の整備をはじめ下ノ口境内の清掃、装飾、幕張の舗設をなす。(以下略) |