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611 大森神社(おおもりじんじゃ)

鎮座地:福津市上西郷804            
     (旧福間町大字上西郷字ヤケミドウ)
行政区:上西郷区
祭神 伊弉諾命(いざなぎのみこと)
伊弉冉命(いざなみのみこと )
水象女命(みずはめのみこと)
大山祇命(おおやまつみのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
石名姫命(いわなひめのみこと)     
祭・行事 8月29日 風止祭
10月10、11、12日 大祭
11月23日 新嘗祭
由緒 伊弉冊命以下三柱の大神は、嘉元二年(1304)甲辰年河津駿河守重房の本国氏神を勧請、合祀し六座とす。宗像社記曰、飯盛小盛神社と有り。後世大森神社と改む。則七十五社の一也。而て蓑生郷宗社也。小盛に鎮座なりしが、嘉元2年甲辰三月、河津駿河守重房再建し、又延元年中(1336~1339)足利尊氏改建し、神田を寄附す。また文明(1469~1486)の頃より大内正弘祭典料四町寄附、祭祀を興隆す。享保(1716~1735)の末、社殿焼失。其後、当処に移転、社殿新築す。明治五年十一月三日村社に被定。
境内社 春日神社 祭神:天児屋根命(あめのこやねのみこと)保食神(うけもちのかみ) 
三島神社 祭神:大山祇命(おおやまつみのみこと)、諏訪神(すわのかみ)龗神(おかみのかみ)、熊野神(くまののかみ)、神武神、八幡神
由緒:6柱の大神は今、下西郷手光津丸久末の4ヶ村に氏神として奉祝し、大神等を本社の摂社として往古より境内に鎮座す。
荒五郎神社 祭神:素盞嗚命(すさのおのみこと)  
龗神社 祭神:闇龗神(くらおかみのかみ)  
西崎神社、小烏神社、熊野神社、神武神社、若八幡宮、諏訪宮、稲神社、祖父神社、亀山神社
文献 【筑前国続風土記】に「大森権現は上西郷の南に在。宇都宮大明神、丹生、白山也。後に伊豆。箱根、三島の神を拝殿に祀る。凡六座也。故に又六社大明神と号す。此神の敷地、上西郷、下西郷、手光、津丸、久末、此五村の民は鮧魚(なまづ)を大森権現の使成とて喰ず。川に多けれどもとらず。」と記載。

【筑前国続風土記附録】に「村の艮三町計、大蔵といふ所に有。祭る所宇都宮大明神、丹生大明神、伊盛大明神、伊豆大明神、箱根権現、三嶋大明神なり。(昔は属村大森にあり。故に大森の号ありしと里民伝へり。)享保の末年、神社焼失し、元文二年今の所に移せりといふ。社内に祇園、諏訪、三嶋、熊野、八大龍王、若四社八幡、六の権現7神を合せ祭る小社あり。」と記載。

【筑前国続風土記拾遺】に「上西郷村の内大倉といふ処に社有。上下西郷、手光、津丸、久末等、五村の惣社也。昔は村の東飯盛山の麓(團原人家の西なり。)小盛に在。(今も此地をヲモリと云。)後に小盛を誤りて、大森といふ。中比村の南幸田といふ所に御社を移せしが、享保の末炎上せり。夫より村の北に神殿を造立して遷し奉る。元文2年の事也。宗像宮神社記に飯盛小盛神社とあるは是なり。(中略)凡当社の産徒五ヶ村は産神の愛し給ふとて、鯰魚を食せず。誤まりて食する時は、忽祟ありといふ。社内に八神社あり。神主伊東氏世々祭祀を掌る。」と記載。
【太宰管内志】西塔田若宮社
「(前略)此社は大盛六社の内にして、西郷村にあり。大森社の相殿白山神社あり。是なり。」と記載されている。
コメント 河津興光(南北朝時代、足利尊氏の味方をした54代宗像大宮司の女婿、河津種信より6代の子孫)は、永正8年(1511)京都舟岡山の戦いで、危ない時に鯰に助けられ命を全うすることが出来た。よって、鯰は「神の使い」として末社に祝い祀り以来、今日に至るまで、此所の里人は鯰を大切にして、決して捕らないし食べたりしない。
絵馬 なし
文化財等 なし


太鼓橋より拝殿を見る 由緒額  鳥居扁額