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【筑前国続風土記附録】に「村の乾五丁計、林中字ダイミョウジンといふ所にあり。産神なり。祭る所宗像三神なり。古へは津丸村の内に鎮りたまひしとそ。其奮跡に礎石残れり。中古は鳥巣村の内タカミヤといふ所に鎮座し給ひしを、鳥巣村の民家をこの疇町に移されし頃、神社をも今の地に遷し奉る。又八幡宮を延宝元年この地に勧請し、神興宮の同殿に祭れり。疇町むかしは本木の支郷なりし故なり。社内に宗像宮の末社百八神を八社に祭れり。大日堂あり。」と記載。
【筑前国続風土記拾遺】に「産神なり。村の西五町計、林中に在。字を大明神といふ。神興社其始津丸村の内(津丸村の条に見へたり。)に在。何れの時にや、回禄せしかば、村民高宮山の南の半腹に移せしが、其処後に山迫り、前は谷に臨みて、風雨の難常に多く、御社早く破損せしかば、産民等、社を他所に移さまく思ふ折から、白鷹あまた集りて、艮の方の山野に巣を掛むと、翻飛すること頻也。里人等恠しとおもふをりしも、里の童女の神の此地に住給はんとの御告なりといひしかば、其詞の詫言に似たりとて、やがてかの白鷹の巣懸し樹下に、社を建て移し祀る。是より村の名、鳥巣と名づけヽる。畝町村の産神は、元より本木の若八幡なりしかば、延宝元年村の北山上に勧請せり。其後畝町、鳥巣の両村を一ツに併せし時、若八幡を鳥巣の神興社に併せ祭る。年中六度の祭りあり。中にも九月二十八日を正祭とす。神興社は宗像七十五社の其一つ也。」と記載。
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