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506 神興神社(じんこうじんじゃ)

鎮座地:福津市津丸645-1            
     (旧福間町大字津丸元神興)
行政区:津丸区
祭神 宗像三女神 
祭・行事 10月5日 例祭 津丸区、久末区で行う
由緒

祭神: 宗像三女神(天照大神の御子神)
    
田紀理姫命(たごりひめのみこと ) 
   
 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
   
 多岐都姫命(たぎつひめのみこと )
神興神社は往時より斯の地に御鎮座あり十一部落即ち上西郷、下西郷、久末、津丸、手光、村山田、八並、本木、畦町、内殿、舎利蔵の住民に依り祭祀を斉行す。(例祭は十月五日)
宗像社縁起に曰く、宗像三女神初め室木(鞍手郡鞍手町室木)の六ヶ嶽に御着、その後此の地に留り給う。此の村に於いて神威輝耀を以って神興と号す。その後三所の霊地(田島、大島、沖ノ島)に御遷座あり云云とある。その三所に遷り給える後も、この地にも御社殿厳かにして祭祀も盛んなりしとかや、然れども何れの頃にかや兵乱に遇い御社も崩壊せしが村民の土
一(つちいち)と言う者に夢の御告げあり、小祠を営めり。その後旱魃、凶作に祈願すれば、霊應ありとて隣村民力を合せ石祠を建立す。 大正年間古瓦発見せられ鑑定の結果延喜十一年(911)の銘あり、吾が国で二番目に古い瓦と解りこの神社の往時の壮大なるを偲ぶ。 【神興神社縁起】 

境内社
文献 【筑前国続風土記附録】に「津丸村 村の南六町計圃の中に神興といふ所あり。古瓦多し。又礎石も残れり。民老伝えて云。いにしえ宗像三女神、鞍手郡室木岳より、しばらくここに遷座し給ひし時の社地なりとそ。神興とは神威此所よりおこり、現れ給ふ故の名と宗像宮縁起に見ゆ。其東三十歩計に森あり。中に叢詞あり。宗像三神を祭れるなるべし。此辺に元日田(グハンジッタ)、五月田(ゴグハチデン)と云う田の字残れり。皆神税の地なりしとそ。」と記載。

【筑前国続風土記拾遺】に 「村の南六町許、山畠の内に石祠有。此処を古より神興といふ。宗像三神を祭る。宗像社記日、三女神初室木六岳出現給。其後於神興村而神威輝給、故其所神興村云、其後三所之霊地在御遷座云々と見へたり。此処のことなり。しかれば宗像三所に鎮座のことは、いともいとも上つ世のことにて、既に三所の地名は古事記、日本書紀にもしるされたれば、なほ其前久しき世の事也けらし。其三所に遷給へる後も、此処は宮殿厳にして、祭祀も盛也しとかや。今旧址を見るに、山谷の間に在て、其景致幽邃也。丘上方弐町計、平坦にして三方に山岡旋りて、南一方遥に開て、泉川東より西に流れたり。其平原の艮の隅に、冬青樹(なのみ)と石壇樹(たぶ)二、三株立り。其余は粟田豆田となりたり。圃中に古瓦の破たる多し。其南に古瓦を拾ひ捨し処、塚の如く積めり。此圃中薦敷と云処、粟生の中より村民善三郎と云ものゝ女、享和元年辛酉六月十二日銅印一顆を得たり。難冠紐書躰古雅にして、古色愛しつべし。宗像社所蔵の勘合印また山田村増幅院にある所の氏雄の印に同様なり。また此辺に五月田、元日田など云田字あり。古の祝税の地なりといふ。かくていずれの比なりしや。兵乱に御社も回禄せしかば、仮に神体を東南の方高宮山の南半腹に社を建て祀りしか、また寛永十三年鳥巣村のうちに移せり。(此事は畝町の条にいへり。)かの鳥巣高宮に移せし後は、宮殿門楼の址空しく禾黍の田となりて、其址としも見へざりしが、近比民士一と云もの、夢の告有と称して、石壇樹の下に、小祠を営めり。其後旱年に村民等、此祠に雩するに、霊感ありとて、隣村民等力を戮て、報賽に石祠を建立す。側に手水塩を置り。是は南の圃にありしいにへの礎石なり。経六尺二寸、四尺六寸五分、高二尺七寸、正中に柱を彫入し穴あり。経一尺九寸、深三寸五分あり。この礎石をみて、上古の殿舎の宏大なりしことを知るべし。」と記載。
コメント 神興廃寺
福間東中学校に隣接する神興神社の南側で今は果樹園となっているが、昭和40年代まで古瓦が山のように積まれた瓦塚が残されていた。大正4年(1915)、その中から「延喜十一年(911)」銘の平瓦や丸瓦が発見され、世間の注目を集め、この場所に寺院が建立されていたものとして、「神興廃寺」と呼ばれるようになった。平成3年(1991)、旧福間町教育委員会において発掘調査が実施された。鴻艫館系軒丸瓦、唐草文軒平瓦、丸瓦が収集され、延喜銘が入った平瓦が数点出土している。現宗像高校四塚会館と九州大学六本松図書館にも延喜銘瓦を収蔵しています。
神興神社境内の社殿脇に置かれている手水鉢は、「神興廃寺の心礎」と言われています。
絵馬 なし
文化財等 なし


神興神社縁起 神社の正面 神興廃寺の心礎